年2回の更新

2月12日と8月10日

2020.08.08

あの日から1年。
SnowManavexからデビューするということが東京ドームで発表されたあの日から今日で1年が経ちました。

1年、かぁ。
なんだかもっと昔のことのような気がしていて。この1年間、ものすごく怒涛だったけれどものすごくゆっくりでもあったりしたなぁ。


あの日、朝から炎天下の中4時間くらいだっけ、グッズ列に並んでご飯食べてスパ行って、会場に戻ったら記者会見ブースが見えたというツイートでちょっとザワザワしていたりなんかして。




1月に増員して2月に滝沢歌舞伎ZEROが始まって3月に朝焼けの花を聞いて5月に深澤くんのあの言葉を聞いて7月に終わらないMemoriesを聞いて、そんな中での8月8日だったから、怖すぎてデビューなんて想像できなかった。
というか、想像したくなかった。
そうじゃなかった時が怖すぎたから。

SnowManが「デビュー」という単語をしっかりと言葉にして伝えてくれるようになって増員もして主演舞台もやって、今までよりもデビューが少しずつ現実的なものになってきていたとしてもおかしくないなと思っていた時期だったからこそ、余計に怖かった。
信じて、期待して、そうじゃなかった時の悲しみが怖かった。
だから本当に、周りからそんな言葉が聞こえても絶対に信じなかったし、期待もしなかった。

オープニングでの登場の仕方が2グループだけ違って、いろんなことが頭の中に浮かびそうになったけれど、それも全部消してた。あの時、2グループが横に並んだあのタイミングは頭がフリーズしていて何も考えていなかった。何も、考えられなかった。
モニターにデビューの文字が映し出された時にやっと、ずっとずっと抑え込んできた気持ちが溢れた。


いろんなことを考えた1日でした。大きな花束を持ったまま歌うLock on!は、あの席から見た9人の姿は、一生忘れることはないと思うけれど、あの公演のDVDは未だに一度も再生できていないままです。たぶんこの先も、少なくとも数年間は再生できない気がしています。


デビューが発表されてからの最後のJr.期間も、デビューしたその週も、本当に怒涛で本当に濃かったなぁ。
少年たちの2幕でお手紙を読んでくれていたけれど、2公演入ってそれが佐久間くんと深澤くんの回で、たくさん泣いた。デビューが近づくにつれてテレビも雑誌も把握しきれないくらい出演させてもらえる機会が増えて、デビュー日は昼からジャニショ行ってCDショップ何件もハシゴしてカラオケでSnowManの曲流して。時間的にも体力的にもカツカツだったけれど、最高に楽しい1週間だった。


コロナが世界的に流行してデビューツアーも延期になって夏の歌舞伎も中止になって、思い描いていたデビュー年とは少し違う世界が待っていたけれど、冠番組が始まったり雑誌の連載が始まったりYouTubeリモート企画をやってくれたり素のまんまで留守電企画があったり佐久間くんのお料理の腕が凄まじく上がったり、デビューしたからこそできたお仕事もたくさんあったけどこんな風になったからこそ実施された企画もたくさんあったりして、悪いことだけじゃなかったなぁって思ったりもしています。



正直、この先どうなるかわからない。世界的に流行したこのウイルスと、いつまで気を張って戦い続けていかないといけないのか、エンターテインメントが前の形に戻るにはあとどのくらいかかるのか。
常に次の現場の当落が出ている状況が、現場で友だちとバイバイする時はじゃあ次は何週間後のあそこで!なんて言っていたようなあの状況が、当たり前だった時期だってあったのに、今では夢のようになってしまっていて。ようやく振替が決まったデビューツアーも行けない可能性だってあって。




でも、どんな形になったとしても、彼らにはやっぱり新しい景色を見ていって欲しいなぁと思うし、誰も歩いたことのない足跡がひとつもない場所に色鮮やかな足跡をつけて行って欲しいなぁと思うのです。

ファンの数も仕事内容も、数年前に想像していた未来とは全然違う未来が今ここに確かにあって、だからたぶん今想像もできないような未来が、数年先には待っているんじゃないかなって思える。
彼ら9人だからこそ歩ける道を歩いて、あのメンバーだからこそ作り上げられる世界を作ってほしい。
1年前の今日、たくさんの気持ちが複雑に交わるあの場所でデビューを発表した彼らだからこそ、数年後も数十年後もずっとその世界で笑っていてほしいなと思ったりするのです。






最後に、素能玉雪、お誕生日おめでとう!!




2020.01.22

2019/8/10は、8/8にあったSnowManのデビュー発表に気を取られすぎて更新できなかったことと、SnowManのデビュー日が1/22に決まったので、きすまいさんの記念日に長々とした文章を書くのはやめます。

すのーまんさんの記念日の更新を1/22と5/3にするのか、1/22と8/8にするのかは悩みどころですが、期間的に半年に1回更新って考えると8/8が良いかなぁ。


とりあえず今回はデビューの波が大きすぎてブログ書く暇もなかったので1/17にひとりごとの方に書いたものをそのまま置いておきます。








時が経つのは本当に早いもので、SnowManの増員が、横アリ単独公演開催とともに新聞にて発表されたあの日から今日で1年。
5日後にはデビューを控えているこのタイミングで、この1年間の振り返りや今の気持ちを残しておこうかなと思います。

増員発表があってから何度も何度もその時の気持ちを言葉にしてブログという形で残してきました。その全てに記載していますが、これは、あくまでファン1人の気持ちです。読み進めていただく場合は、その点しっかりとご理解いただけたらと思います。






今回、このブログを書くにあたって、この1年間残してきた自分の気持ちのブログを読み返しました。やはり気持ちは、どんなに強いものだったとしても、時が経てば忘れてしまうものだなと再確認しました。


残しておいてよかった。

ポジティブなものというよりかはどちらかというとネガティブなものの方が多かったけれど、それでも、あの時期があったから今があるんだって思えたから。

今、SnowManのデビューをこの気持ちで迎えられることがどれほど嬉しいことなのか、確認することができたから。



















あの時、未明に新聞でしれっと増員が発表されて朝方まで眠れなかったあの時、1年後の今日をこんな気持ちで迎えているなんて思ってもいなかった。
そして、デビューを目前にしてMステでSnowManにぴったりなデビュー曲D.D.を歌わせてもらえる日になっているなんて、思ってもいなかった。

笑っていられるなんて。
こんなにも嬉しい気持ちになれているなんて。





本当に、いろんなことを考えた1年間でした。
ずーっと泣いてたし、降りようと思ったのは1回だけじゃなかった。し、1ヶ月くらいは割と離れてた。
たくさん言葉にして文字に残しているけれど、表には出してない感情もたくさんあるし、友達と話しながら吐き出した感情もたくさんある。
この1年が、特に最初の半年が、本当に濃かった。長かった。











1年前のわたしは、増員を受け入れることができませんでした。
6人のSnowManだと何がダメで、9人になったらどういう未来が待っているのか、全然わからなかった。
たくさんの情報が飛び交っていて、感情も飛び交っていて、毎日が目まぐるしかった。
自分の感情も整理できていないのに、たくさんの人のたくさんの言葉を目にして、さらに自分の感情が分からなくなったりして。
自分が行きたい方向と、実際に足が進んでいく方向が全然違って、本当に苦しくて、逃げ出したくなったりもした。

でも、諦めたくなかった。
もういいや、って思いたくなかった。
行きたい方向に足が向かうように、そうなるまでとことん自分と向き合いたかった。

時には逃げ出したこともあった。その場にいるのが辛くなって、どんどんと後ろに進んでいってしまう自分自身も嫌になって、それならいっそのことこの場から離れてしまおうって、別の道に進み始めたこともあった。それが自分が選んだ答えなんだと思ったこともあった。

でも、戻ってきた。
ここに、戻ってきた。

離れたからこそ整理できた感情や見えてきたこともたくさんあって、やっぱりSnowManが好きだって、9人のSnowManを好きになっていきたいって、思えるようになった。


わたしは、もう戻れない過去にしがみついて現在を否定することの惨めさを、身をもって体験している人間なので、もしもSnowManでもそんなふうになってしまうのであれば、潔く離れるべきだと思っていたから。
だから、戻ってこれたことが、ちゃんとこの道でまた未来を見れたことが、本当に、本当に嬉しかった。







デビューを目前にして、今まで出演したことのなかった番組に出させていただく機会が増えました。
1/13の深イイ話、6人時代のSnowManに焦点を当てたVTRの中で、あの時彼らが言葉にしてこなかった本音たちを聞くことができました。

増員は最終的に彼ら6人に委ねられていた。

拒否したら干されていたのかもしれない、解散させられていたのかもしれない、当時わたしもそう思ったし、今回もそういう言葉を見たりはしたけれど、でも、そんなこともう誰にもわかりっこない。

彼らが選んだのは、増員する道。
そしてその先にあったのは、デビュー。

SnowManを守りたかった」

そんな彼らの希望がデビューという形で叶ったのだから、もしもの話なんて考える必要はない、わたしはそう思う。



Mis Snow Manができて、noon boysが抜けて、グループとしての形がなくなって、Snow Manとして改めてグループの形を作ってもらって、その時に彼らの心はもう決まってたんじゃないかな、このグループを守り続けるって。
自分が所属する最後のグループにするって。
彼らにとってSnowManというグループが、かけがえの無いものになっていたんじゃないかなと、わたしは思う。




本当にいろんなことがあった1年でした。

1月、増員で泣いて
2月、滝沢歌舞伎ZERO南座で泣いて
3月、9人での横アリ単独で泣いて
4月、滝沢歌舞伎ZERO新橋で泣いて
7月のサマパラも泣いたし
8月のドームでのデビュー発表も泣いた
9月の少年たち深澤佐久間お手紙でも泣いた


いろんな場所で彼らの口から彼らの言葉を聞くことができました。
彼らが選んだオリジナル曲を聴くことができました。
その度に涙を流しました。



2/4の佐久間くんのすの日常
「確かに受け入れるのが難しい人も居ると思う、でも、時間がかかってもいいから、俺らSnowManについてきて欲しい」


3/24の単独横アリでの深澤くん挨拶
「僕は9人でいること、SnowManでいることに人生を賭けました」


横アリで初披露した朝焼けの花
「言葉では伝えきれない 思いもあったけれど 「全てはこのためだった」と言える景色へと
そしていつか必ず幸せな涙を
これが第何章の旅でも 共に笑乗り越え
時にぶつかれど歌いながら 希望の道を行こう」


5/5の滝沢歌舞伎ZERO昼公演での深澤くん挨拶
「でも僕は、きっと強くなれると思うんです。守りたいものが、6人から9人になって。人は、守るものが増えた方が、強くなれる、強くなれると思うんです。
辛かったけど…
でもSnowManは今踏ん張りどきだと思うんです。僕だけの力では守れない。だから、みんなの力を貸してください。」


サマパラで初披露した終わらないMemories
「この坂を越えたら 新しい何かを手にし 進めますように」


9/14の少年たち昼公演での深澤くん手紙
「辛いことは9人で分けて、嬉しいことはみんなで喜ぼう。それがSnowManだよ。これからも9人で笑っていられるように。俺たちの道だから。その道を逃げないで進めるように。応援してくれるみんなと。絶対大丈夫だから。」


9/15の少年たち昼公演での佐久間くん手紙
「年齢も近いから、悩んでることとか弱さとかもお互いに見せたくなくて、腹を割って話せなかった。大好きだったはずのSnowManが嫌いになったこともある。そんな自分が嫌になって、辞めてやろうかと思ったこともある。SnowMan9人で一生かけていけるところまで行こう。」


まだまだあるけれど、ひとつひとつが本当に重くて、この時期を、デビュー前のSnowManを、応援することができて本当に良かったと思った。

SnowManを好きになれて良かった。

こんなにも素敵な考え方を持っている人たちを、
こんなにも美しい世界観を作り出してくれる人たちを、
こんなにも人に愛される魅力的な人たちを、
好きになることができて、
応援することができて、
そして、
デビューをお祝いすることができて、
本当に良かった。






「グループがあるからデビューできるわけじゃない。もしそれでできるんだったら、そんな簡単なことはない」
深イイ話で聞くことができた、この深澤くんの言葉が本当に、本当に重かった。


6人が6人じゃなくなるなら、デビューできなくても良いと思った時もあった。
お仕事たくさんさせてもらえてるし、舞台で生きていってもらえたら十分だと思った時もあった。

でもその考えはたぶん、彼らにとって失礼だったんだろうなぁ。
デビューを目指して10年以上続けてきた彼らに対して、デビューしなくても良いなんて思うのは。

彼らだって生半可な気持ちでここまで続けてきたわけじゃない。
そんなことくらい、わかっていたはずなのに。



彼らは長いジャニーズJr.人生の中で
たくさん悩んで
たくさん悔しがって
たくさん苦しんで
たくさんもがいて
そんな中でもデビューを目指してずっとその場所に残ってくれていた。
人生をかけて、その道を進んでくれていた。


わたしが見ている彼らのジャニーズ人生なんて、ほんの数年でしかないけれど、彼らは彼らの人生の半分以上をジャニーズJr.として過ごしていたりするんだよ。

重みが違う。
覚悟が違う。
熱意が違う。

デビュー日は、デビュー作品は、一生に一度しかない。
そして、その一生に一度の出来事は、その先一生ついて回る出来事になる。
少し無理をしてでも、華々しい1日にしたい。記録と記憶に残る出来事にしたい。わたしは、そう思っています。あくまで、わたしの話です。





今のわたしは、6人のSnowManも、9人のSnowManも、どちらも肯定したい。どちらも否定したくない。

6人が、長い年月をかけて作ってくれたSnowManというグループは、
真面目で、
まっすぐで、
頑張り屋さんで、
優しくて、
不器用で、
「こいつらのためだったらやってやりたいなって思わせるような」
魅力があるグループ。

9人が、目にも止まらぬ速さで作り上げたSnowManというグループは、
やっぱり真面目で、
やっぱりまっすぐで、
やっぱり頑張り屋さんで、
やっぱり優しくて、
相変わらずたまに不器用で、
SnowManってこんなにやりやすかったっけ」「シンプルに良い奴ら」
と言われるほど愛されるグループ。


6人のSnowManが無かったら、今ここにSnowManというグループは存在していなかっただろうし、9人のSnowManにならなかったら、たぶんデビューしていない。

佐久間くんが、本当に楽しそうに、嬉しそうに、デビューの話をしてくれるのが言葉にならないくらいに嬉しくて。
この笑顔が見たくて、この瞬間を一緒に味わいたくて、ずっと応援してきたんだって、ものすごく思って。
だから、佐久間くんがSnowManとしてデビューしてくれることが、本当に嬉しい。
アニメオタク兼SnowMan佐久間大介として世界に羽ばたいていってくれることが、本当に嬉しい。








デビューは、格子の外に出ること。
閉ざされた世界から、開かれた世界へ。
扉の向こうには、どんな世界が広がっているのだろう。







たくさんの感情を教えてくれて
たくさんの景色を見せてくれて
たくさんの幸せをわけてくれて
本当にありがとう。

辛いことも苦しいことも悩むことも確かにあったけれど、SnowManが一歩一歩前に進んで、道を作っていくその過程を一緒に進んでいくことができて本当に幸せでした。
本当に長かったジャニーズJr.としての道は、もうあと少しでデビュー組としての道に切り替わります。
ジャニーズJr.としてのSnowManを、佐久間くんを応援できて本当に良かった。出会うことができて、本当に良かった。
デビュー組のSnowManも、デビュー組の佐久間くんも、どうぞよろしくお願いします。

「ジャニーズJr.のSnowMan 佐久間大介」を好きになって応援してきた5年4ヶ月は、わたしの人生にとってかけがえのない時間です。





あなたに出会えて良かった。
あなたを好きになれて良かった。



あの時、あの場所にいてくれてありがとう。
今、その場所にいてくれてありがとう。



この先もあなたが進んでいく場所に、わたしも進んでいきたい。
見たことのない景色を、あなたと一緒に見ていきたい。
あなたが創り上げる世界観を、見続けていきたい。
そう、思わせてくれる 佐久間大介 というアイドルに出会えたことに感謝です。


この人がファンでいてくれて良かっただなんて、そんな大層なことができる人間ではないけれど、それでも、1人でも多くの人に佐久間くんの魅力を伝えられるファンになりたい。

改めて、そう決意した1月17日。

























それでも、SnowDreamはやっぱり宝箱に閉じ込めていて欲しいと思ってしまう自分がいることは否定できなくて。
6人の思い出が消えたわけではないから。あの日々の輝きは、あの時のまま残しておきたいと思ってしまう自分もいるから。
あの時のあの景色は、あの時のまま、上書きしたくないから。


最後のわがまま、彼らは許してくれるのかな。








2019.02.12

どうやらこの日も9回目のようです。

2011年2月12日。
安井くんが茶封筒を届けてくれて、Kis-My-Ft2のデビューが決まった日。

あれからもう8年も経つのかと思うと本当にあっという間だなぁと思うけれど、その半分くらいは離れたあとなのかと思うと、ちょっぴり悲しくなったり。

あの頃はデビューの勢いだと思ってた。
すぐに人気は落ち着くんだろうと思ってた。というか落ち着いて欲しかった。
まだセンターに立つ前の玉森くんを好きになったわたしだから。 推される ということが得意ではないわたしだから。

でも彼らはずーっと人気を集め続けて、今でもいろんなところで活躍しているしCDの売上も好調みたいだしコンサートだってついに当たらなくなった。

デビューしてから、新春は行けなかったけれど、ツアーは基本的に入り続けていて、入らなかったのは2018年の冬yummyが初めてだった。

彼らを応援した約7年は、わたしにとってかけがえのない宝物です。
好きになった頃を彼らに黒歴史扱いされて、わたしら自身が否定されたような気持ちになったこともあるけれど、あの時好きになったから今のわたしがいるし、佐久間くんを応援できているんだなぁと思う。

あの時彼らから離れた人はたくさんいるけれど、こうして今たくさんの人から応援してもらってさまざまなお仕事に挑戦させてもらってるところを見ると、彼らの選択は間違いじゃなかったんだなぁと思える。

彼らの進む未来が、この先もずっと明るいものでありますように。






SnowManの増員で傷心している今。
今のSnowManと、あの頃のKis-My-Ft2が重なって見えるような気がしてならない。

数年後のわたしは、笑えているのかな。
どんな気持ちを、持っているのかな。





2018.08.10

8回目の8月10日です。
7周年おめでとうございます。

今年は8/9〜11が今担のコンサート(TDC)だったので遅くなりました。いや、最近遅いのが普通になりつつあるけど。

7/30〜8/1にきすまいさんツアーにお邪魔させてもらいました。メインは閑也を見るためだったんだけど。

 

…ここまで、去年のこの日に書いた文章の日付とか場所を変更しただけの文章。去年も今年もきすまいさんのデビュー日にはすのさんの公演があって。だから今年は東京に向かう新幹線の中で書き上げようと思っています。(ので、遅くなってないのです)

 

ほんとはね、もうこの文章書くのやめようかなぁとも思ったりもしたんです。だってもうきすまい担だったなごりなんてひとつも残っていないから。こことかTwitterのIDと名義残し続けてコンサートに行ってることくらいしかないから。

だけど、今年のきすまいさん2daysお邪魔させていただいて、去年の文章を読んで、 わたし去年と変わってるかも と思ったのでやっぱり書こうと思います。

去年、コンサートにお邪魔したあとは、席が悪かったのも大きいとは思うんだけどとてもイライラしてしまっていた部分があって。

今年も両日悪かったのは悪かったししかもドームだったしさらにイライラ要素増してる気がするけどそんなことはなくて。最終日にまさかの佐久間くん見学があったからかもしれないけれど。事前に曲聴いていたから知っている曲が多かったのも大きいのかもしれないけれど。

なんか、いい意味で興味がなくなったというか粘着しなかなったんだなぁと。

TravisJapanが出てるところは相変わらず閑也ばっかりみてたし去年と変わらず目的は閑也だったけど、バックつけていない曲も結構楽しめたなぁと思って。

特効が激しい曲、しっとりと聴かせる曲、新しい装置を披露する曲…

「嫌い」ではなく「興味が薄れた」からこそ楽しめる部分もたくさんあって、「嫌い」というのは本当にパワーがかかってるんだなぁと再認識しました。

 

降りた後の紙チケ時期は凄まじく席運が良くてとてつもなく楽しかった思い出があるんだけど、デジチケになってからは本当にことごとく席運が悪くて。席が近いとそれだけで楽しめるけれど、今のわたしにはもうきすまいさんでその場所に入る資格はないんだなぁと思ったりして。

 

でも本当に、きすまいさんは大人になったなぁと思います。そりゃあ最初に好きになってから10年も経ってるから当たり前なんだけれど、何というかとても良い年の取り方をしたんだなぁと、全員が良い方向に進んでいるんだなぁと感じました。

ここにたどり着くまでに本当にいろいろなことがあったし、無理してるんだろうなぁと思うことも無理させられてるんだろうなぁと思うこともたくさんあったけれど、今はそんなことなくて、ようやく自分たちでがむしゃらに作っていた形を外側から見られる時期になったのかなぁと。

あとは少しずつその形を綺麗にして行く過程。その形はその時に一番美しいと思う形に作り変えて行くんだよね。もう土台をがむしゃらに作る期間は終わったんだね。

 

 

5周年よりも彼らがこだわった「7周年」。

新しいファンを囲い込めるように
今居るファンの手を離さないように
昔からのファンを置いてけぼりにしないように

自分たちが作った色で、自分たちが住む世界を描いてください。

 

いろんなことを考えて最終的には離れたけれど、あの7年はわたしにとってかけがえのない期間です。

彼らにとっても、過去が消したい時期ではなくなる時が来ますように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2018.02.12

すっかり忘れていたのは、今年が初めてかもしれない。

きすまいさん、デビュー決定日、おめでとうございます。
2011年の今日、Jr.を卒業することが決まった日。
なんだかんだ義務的になってきつつもあるけれど、こうやってふと思い出すきっかけになるから、デビューが決まったその瞬間が映像に残っているのって羨ましいなぁと思う。
もうきすまい担に戻ることはないけど、最近は曲も全然聞いてないけど、それでもやっぱりわたしにとってはちょっと特別なグループです。




ふとTwitterで流れてきた玉森さんのらぼんのCM見たんですよ。なんだか別人だった。あ、これ担当だったらやばいやつ、って思った。今の状態だったらわたしが担当になることは絶対ないけど、絶対あんなことできなかった時代だったからこそ好きになったんだろうなぁ。
演技もろくにできなかったあの頃が懐かしかったりもするけど(笑)
なんだかんだ俳優としても評価されてる玉森さんを見ると、人の成長って凄いんだなぁと思うんです。


佐久間担も4年目になって、ようやく玉森担やってた期間の半分を超えたくらいだけど。そう考えると長かったんだなぁ。いつかSnowManにも、5月3日以外におめでとうと言える記念日が出来たらいいなぁ…




2017.08.10

7回目の8月10日です。
6周年おめでとうございます。

今年は8.10〜11が今担のコンサート(EX)だったので遅くなりました。いや、最近遅いのが普通になりつつあるけど。

7/25にきすまいさんツアーにお邪魔させてもらいました。メインは閑也を見るためだったんだけど。
去年のコンサートまではアルバム聞いてから行ってたけど今年は買いもせず音楽番組も見ずだったからピキラさえもほとんど知らない状態で。デジチケだったのとか席悪かったのとか重なって、きすまいさんたちへの感想は 降りてよかった だった。
でも、2日後にわざわざ大阪まで宮田くんに会いに来た佐久間くんの感想やレポを見ているとわたしの考え方ってどうなのかなと思ったりもした。

わたしは、彼らを好きだった7年をなかったことにしたくはない。
けれど彼らは昔の彼らを消そうとする。


きすまいさんを降りるか降りないか瀬戸際の頃の自分の文章を振り返って。
あぁ、好きだったんだなって思った。
わたしの7年って嘘じゃなかったんだなって。
大嫌いだったけど大好きだった。大好きだったからこそ嫌な部分がたくさん見えてきて大嫌いになった。
玉森さんって、わたしにとっては特別な人で、結局、誰もあの頃の玉森さんに勝てる人はいないんだと思う。わたしの中で。
ジャニーズ好きになって初めて自分からこの人が好きって思ったのが玉森さんで、周りはJUMPに沸いてる頃できすまい担なんて誰もいなかったのに。
彼が後列最下手で見切れも多くてダンスも上手くなくてやる気もなくてただ辞められないからそこにいるだけみたいな雰囲気を別に隠すわけでもなくそこに立っていたあの頃。
13歳の小娘が好きになったのは17歳の高校生だった。
今考えるとまだまだ未熟な中学生がホストみたいな高校生にはまるのも危ないし17歳がホストみたいにいかつく振舞おうとしながらも可愛さが出てしまう思春期の葛藤みたいなやつを見て好きだと思うその感情も危ない。
でも、好きになった7年は嘘じゃないしわたしの中で輝いてる人だった。
グループの中で1番目立たなかった人がグループのセンターになって、デビューして知名度が上がって人気が出て、ドラマの主演だって映画の主演だって舞台の座長だってこなすようになって。
そんな彼の成長をわたしの青春に重ねながら見守り続けられたこと、本当に良かったなと思う。
たぶん彼は、彼だけを見たらまだまだ成長してるし、魅力的な部分も惹かれる部分も好きな部分もたくさんあるんだと思う。だけど、彼とは関係ないところに嫌いなものができてしまって、そのせいで彼に嫌悪感を抱き始めてたのがわたしは1番辛かった。
だから逃げ出した。
わたしと同じくらいに、わたしよりも前に好きになった人でまだ続いてる人は凄いなぁと思う。わたしは耐えられなかった。変わっていくことは成長してることだと思うから喜ばしいことなはずなのに、変わってほしくないところが変わってしまった。
わたしは玉森担が嫌いになった。

だから二階堂さんに降りたけど、それでもダメだった。
わたしはきすまい担が嫌いになってた。
あのコンサート会場に集まる人たちが嫌いだった。
帝国劇場に集まる人たちが嫌いだった。
結局わたしはその場にいることを辞めた。

なんだかんだ今SnowMan応援してて幸せだし、もしかしたらいつかあの時みたいな感情になるのかもしれないなとか、離れたいと思う日が来るんだろうなとか、そんなことは思ってるけど来ないまま3年が経った。
だんだんわたしがきすまいさんを好きになってからきすまいさんがデビューした期間の3年8ヶ月に近づいてる。
負の感情はデビューというきっかけがなかったら出てこなかったものなのか、それとも時間的な問題なのか。
大好きしんどい辛いって言ってる割にはイライラするところもある今のこの感じがオタクやってて楽しいと思えるわたしの感情だから、まだまだやめられないんだろうなと思う。
全部が好きになっても、嫌いが多くなっても成り立たないのがわたしなんだろうな。
なんだかんだジャニオタ10年目を迎えて、もうすぐ10周年。そろそろ人生の半分がジャニオタになる。
死ぬまで辞められないのか、いつか辞める時が来るのか。
そうだとしてもわたしの人生にジャニオタであった時期があることは確かだし、それはもう黒歴史なんかではない。北山担であったことも玉森担であったことも二階堂担であったことも紛れもない事実で消したくない過去。

だから、「降りて良かった」。
コンサート終わった直後は悪い意味で降りて良かったと思ってた。冒頭の文章もそれ。もうあの空間にわたしの居場所はなかったから。その空間よりも楽しい場所を知っちゃってるわたしのせいなんだけど。
でも今は、良い意味で降りて良かったと思ってる。降りてなかったらたぶんまだぐちぐち言いつづけてたと思う。嫌いなところ見つけて棘指す口うるさいババアになってたと思う。だから、降りて過去を抱えながら遠くから薄目で見れる位置に来て良かったんだと思う。

彼らがわたしの青春であることに間違いはないしジャニオタの基礎であることに間違いはない。
大好きだった。
本当に大好きだった。


ありがとう。
そして、おめでとう。













森田美勇人くん、TravisJapanとして最後のメイン公演お疲れ様でした。
明日からのらぶとら合同公演も来週のきすまいさん仙台バックもあるけどTravisJapanとして7人で作り上げた最後の公演。離れたくなかったはずなのに離れることになったTravisJapan。
そんな彼を取り巻く1750人の愛を見たから、たとえそれが文字情報だとしても、訴えかけてくるものはたくさんあって。
10日に書き上げてなくて良かったと思った。きすまいにイライラしたまま文章書き終えてなくて良かったと思った。大っ嫌いだけど大好きだったって思い出せたから。
まだまだ成長できてないな、わたし。

2017.02.12

さて。7回目の2/12です。

まさかこんなに長く書き続けるとは思ってなかったなぁ。すでにきすまいさんからは離れているけれど、それでも、2/12と8/10の文章を年に2回その日付近に読み返すと面白かったりするのでこの文章は続けていきたいと思うんだけど。

 

今年はちょっと毛色を変えて、しばらく前になんかちょっと騒がれてた なんで好きになったのか というところについて。元はと言えばわたし玉森担なんですよ。なんだかんだ2008年夏から2014年夏まで6年間担当やってたんですよ。副担みたいなのも入れたら7年くらい。

わたしの場合きすまいさんの入り口は北山さんでした。北山担玉森推しを1年弱やってました。

生粋のセンター嫌いで、後列最下手でびっくりするほど力抜いていた玉森さんがなぜか好きになって。あの頃は今よりももっと魚だったし顔が好きだったとか絶対そんなことはなくて。今だったらたぶん北山さんの方が好きなままなのかもしれない。でも14歳の頃のわたしは18歳の玉森さんに惹かれて。

なんだろうなぁ、当時中学生だったわたしは、ガツガツしてないところに惹かれたのかもしれない。頑張ってることがカッコ悪いと思ってた中学時代のよくある思考が影響したのかもしれない。

でも、ごくせんが決まって、その頃は純粋に嬉しかったけど、センターにいきなり放り込まれた時からなんだか単純に喜べなくなった。そのあと一瞬また後列に戻った時は結構嬉しかったりして。PZでまたセンターに戻ってからわたしの玉森さん離れが始まったからやっぱりわたしはセンターが嫌いなんだなぁって。

 

たぶんわたしは、センター嫌いっていうのが無意識のうちにジャニオタとしての物心がついた時からあったんだろうなぁ。後列の中で自担を選ぶ傾向がある。

だからわたしが玉森さんを好きになった理由は「後列の端っこが立ち位置だったから」なんだろうなぁ。

 

 

 

とにもかくにも茶封筒の日、おめでとうございます。これからもあの日の興奮と感激とあの場所から見た景色を忘れずに、笑顔を届けられる素敵なグループでいてください。

あなたたちが先輩からしてもらった数々の御恩を後輩に繋げることも忘れずにいてもらえたら、Jr.担としては幸せです。この間はSnowManにドームの真ん中でオリジナル曲を歌わせてもらってありがとうございました…!!