年2回の更新

2月12日と8月10日

2016.08.10

6回目の8月10日。1日遅れてしまいましたが少しだけ。

5周年ということで何か映像ないかなと漁ったのがKis-My-Ftに逢えるde show vol.3のDVD。最初は、今までずっと歌い続けてきたのに今回のツアーから歌わなくなったFIRE BEATの映像を使おうと見はじめました。本当に見るのが久しぶりすぎて何が収録されているのかも覚えていなかったけれど、適当に見ているとあの茶封筒のシーンが。久しぶりにWS以外で見ました。それを見て思うことは「SnowManにあの景色を見て欲しいあの気持ちを味わって欲しい」と言うこと。妄想して泣きそうになるくらい、当時散々泣いたことを思い出すくらい、叶えて欲しい夢。

SnowManって本当にJr.の頃のKis-My-Ft2に似ていて、(MisSnowMan時代から考えると)同じグループとしている時間も長いしメンバーの離脱も経験してるしメンバー同士のギスギス感もあったしひろむには好かれてないしだけど少年たちで主演させてもらってるし。でもあの頃のKis-My-Ft2にあったもので今のSnowManに無いものもあって、それは多分あつかましくいる心。滝沢さんも常々言っている通りSnowManって本当に真面目で本当に素直で。だからこそ良い部分魅力になる部分もたくさんあるんだろうけどあの世界で上に上がっていくには先輩に対して周りに対してあつかましく接していく心ってのも重要だとわたしは思っていて。たぶん深澤さんの滝沢さんに対する行動と佐久間くんの三宅さんに対する行動は今のSnowManにとって無くしてはいけないものなのだろうなと、年長2人がそういうところを無意識なのかもしれないけれど偶然なのかもしれないけれどしてくれてるんだなって。逆にあの頃のKis-My-Ft2に無くて今のSnowManにはあるものと言えばたぶんパフォーマンス力。群を抜けてアクロバットが得意なグループだから初めて見てもらえた人にも名前は覚えてもらえなくてもなんか凄いことしてた人たちという感想は持ってもらえてそのワードだけで確実にSnowManに辿り着けるという利点がある。
デビューは運だと言うけれど、たぶんそれだけじゃなくてそれまでの努力もそれなりに見てもらえてると信じてる信じていたい。だからこそ、あの子たちがとてつもない途方もない努力をしてることを知っているからこそあの景色を見て欲しいしあの感情を味わって欲しい。

Kis-My-Ft2のバックに着くのは嫌だと言い続けていました。Jr.の見せ場を作ってくれないから。とてもわがままなことを言っていることはわかっているし作ってもらえることが当たり前なわけではないこともわかってる。でも、つかせてもらってる他のグループからの扱いが良すぎてどうしてもそちらと比較してしまって、そしたらKis-My-Ft2からは本当にパフォーマーとして空間埋め要員として使われている気がして。そんなことないのはわかってるしJr.ならそうやって使ってもらってることも有難いことだとわかってはいるのだけどやはり欲って消えなくて。でも、皮肉にも東京ドームで4大ドームでSnowManだけがステージに立っている空間を作ってくれたのはドームの中心で6人だけで6人の歌を歌わせてくれたのはKis-My-Ft2で。Kis-My-Ft2はグループが出来てすぐに自分たちのオリジナル曲ができて、SnowManは2015年9月にやっとできて、オリジナル曲ができてからと考えていたのかも知れないとも思ったりもするけれど。

考えれば考えるほど深みにはまっていってしまう気がするからあまり考えないようにはしているけれど、「もうSnowManはデビューできないでしょ」って思ってる人たちを1人でも減らしたい。「完全舞台班」だなんてやっぱり思って欲しくない。わたしにできることなんて彼らの魅力をアピールして少しでも興味持ってくれる人を増やすこととか少しでも頭数増やすために舞台とかコンサートの申込当日券頑張ることとかしかないけれど、今できることを今やっていきたい。
Kis-My-Ft2が5年半前に味わった感情を、5年前に見た景色を、あの子たちにも近い将来見て欲しい。そんな風に思った8月10日でした。




2016.02.12

2011年2月11日から書き始めているこの日の文章も、今回で6回目になりました。毎年過去の文章すべてを読み返してからその年の文章を書いていたのだけど、今年は去年のだけ読んで書いてみたいと思います。



去年と今年で大きく変わったことがひとつ。Kis-My-Ft2から完全に離れたこと。SnowManの佐久間担としてオタクやってること。心の中に少しでもあったKis-My-Ft2が完全にいなくなった。振り返れば2007年にその存在を知って2008年から本格的に応援し始めたKis-My-Ft2。SnowManに降りなければ9年目に突入してた時期だった。年月の長さがどうのこうのと言うのはあまり好きではないけれど、やはり9年という年月はとても長いものだと感じる。だって、小学校1年生の子が中学校卒業しちゃうんだもん。あの時中学生だったわたしが社会人になろうとしてる。どうしても時の流れを感じてしまう長さではある。
Kis-My-Ft2が嫌いになった、というわけではない。現場に行けば脳内お花畑がわんさかいて頭痛くなるし、リリースペースは早くて付いて行く気にもなれないし、ドラマやバラエティも面白いと思えなくなったし。だけど、嫌いになったわけではない。興味がなくなった。というよりももっともっと興味を持った人たち好きだと思える人たち応援したいと思える人たちを見つけた。たったそれだけ。たったそれだけで驚くほど呆気なくわたしの中からKis-My-Ft2は消えた。あれだけずるずる引きずっていたのが嘘のように消えた。今ではもう出演番組もリリース日も知らなければブログも読まないしラジオも聞かない。自発的に彼らの情報を得る、探すということをしなくなった。
それでも去年の文章を読んだ時、心に溢れるものがあったように感じた。それは、数日前に放送された少くらの影響で懐古したことも関係あるのかもしれないけれど。純粋にただただKis-My-Ft2が好きだった2009年。少年隊から引き継いだPLAYZONEで主演という大役を与えられたそのままの勢いで回った初単独ツアーがあった年。デビューに向けて走り始めた年。Kis-My-Ft2がやっと全員同じ方向を向き始めた年。あの頃を振り返るとやはり今でも好きが溢れる。やはりわたしは デビュー前の彼ら が好きだったんだと、 デビューを目指してる彼ら が好きだったんだと、何度目になるかわからないけれどそんなことをまた改めて感じた。
5年前のあの日、わたしは東京には居なかった。あの日の5日前、強制登校なのに自習とかいうよくわからないことをしていた学校を休んで大阪に行ったから。あの日の数日後、テストを控えていたから。あの日のあの時の空気は、わたしには一生わからない。何かあるのはわかってたから、予想がついていたから、なんとしてでも行けばよかったと後悔したことは数え切れないほどある。けれど、その日東京に居なかった事実は変わらない。あの日東京に行っていれば何か変わってたのかな、何も変わってなかったのかな。
あの時いろんなことを感じて悩んで考えて、5年前のわたしはその後の半年間いろんなことをモヤモヤと抱えたままだったけれど、あの期間がたくさんのことをわたしに教えてくれたんじゃないかなとも思う。ジャニオタやってなかったら絶対に考えなかったこと、キス担やってなかったら絶対に悩まなかったこと、本当に数え切れないくらいあると思うから。
わたしの青春はKis-My-Ft2だった。 わたし という人間を語る上でKis-My-Ft2は外せない存在だと言えるくらい、わたしのものごとの考え方や捉え方は彼らに影響されている。今はもうわたしの心の中からはいなくなってしまったけれど、彼らを通して感じたことはわたしの中にずっと残る。
こんな状態でもまだコンサート初日のFIREBEATのイントロで涙出てくるし、えびきすこんもBrand New Seasonから始まる春こんもやってくれるって信じてる。Kis-My-Ft2に関しては過去に縛られてしか話せなくなってしまったかもしれないけれど、最近はそれでもいいんじゃないかなと思えるようになってきた。わたしにとってのKis-My-Ft2は、ポップで爽やかでカラフルな人たちなんかじゃなくて、ギラギラしてて一匹狼みたいで棘のある人たち。そんな彼らを好きになったんだから、やっぱりわたしにとってはそんな彼らがKis-My-Ft2なんだよなぁ。戻って欲しいとは思わないけど、もうあの時以上に好きになることはないんだろうなと思う。
こうやって懐古してしまうのは、わたしが離れた証拠なんだろうな。書き飽きたと思うくらい何度も同じ文章書いてもまたその文章を書いているのは、わたしの考えが固まった証拠なんだろうな。もしかしたら8月10日も来年もまた同じことを書いているのかもしれない。でもこうやって半年に一度でもKis-My-Ft2のことを思い出して考えて文字にすることは、辞めたくないと思ってしまう。だからまた半年後に更新します。













2015.08.10

毎年恒例になっているこの日の長文。今回で5回目になりました。
今回もこの長文を書くにあたって今までの8月10日の文章を読み返していたのですが。
今年は例年とは少し違う観点で文章を書くことになると思うと月初めくらいにTwitterで呟きましたが読み返してみて改めてそう思いました。去年の今日はまだSnowMan好きじゃなかったから。去年までとはわたしの見てる人が変わったから。 離れる日は来ないと思う という過去の自分の言葉を見て苦笑いしています。(なーんて言いながら8.10になってみて色々動画とか振り返ってこれ書き始めたら例年とあんまり変わらない文章になった気がするけど)



わたしがKis-My-Ft2の存在を知ったのは2007年。それから約8年の月日が流れました。初めて存在を知った時はデビューなんてまた夢の夢だったしできるとも思ってなかった。えびきすやって12人で?なんて思ったりもしてPLAYZONEとかツアーとかたくさんやらせてもらったのにいまいちジャンプできずにホップステップで終わってしまう状況があったりして。荒れたところも腐りかけたところも見てきたからこそ今こうやってデビュー4周年をお祝いしているという現実に浸ることができている気がします。
デビューしてからの彼らは完全に色が変わってファンもガラリと変わりました。それについていけなくて文句ばっかりになってわたしはSnowManに逃げました。逃げた先は天国で幸せが溢れていました。やはりわたしはデビューが見えるか見えないかで頑張っているJr.が好きなのだと心から思ったりもしました。

都合のいいことを言うかも知れないけれど、やはりデビューが決まった時の映像を、あの時何度も見て何度も泣いたあの映像を見ると無意識にこみ上げてくるものがあるみたいです。わたしにとってKis-My-Ft2は大きな存在であったから。わたしの青春を全て捧げた存在であったから。彼らがいなかったら今のわたしはいないと言い切れるくらい、わたしは彼らに支えられてつくられた部分がたくさんあります。

周りの環境 と言うワードを過去にもよく出していましたがやはり今年も使うことになるようです。

わたしにとってKis-My-Ft2は簡単に離れられる存在ではなかったというのはデビューして色が変わってついていけなくなり始めてからも3年はついて行っていたところを見ると分かる気がするのですがなんでSnowManに逃げることになったのかというと 周りの環境 が原因だったのだろうなと思います。Kis-My-Ft2のコンサート、舞台にしか行っていなかったからその場所が 心地よくない ということはわかっても相対的に感じることはできなかった。だけどわたしは去年のDREAMBOYSをきっかけにSnowManにはまってKis-My-Ft2以外のコンサートや舞台にも足を運ぶようになりました。そこでやっとKis-My-Ft2の現場が本当にわたしに合っていないのだと気づくことができた、そんな気がします。12月の横アリ、タッキー&翼のコンサート会場は本当に居心地が良かった。肌でひしひしと感じることができたんです。
その場にいる人たちだけが原因ではなく楽曲であったり売り出し方であったりわたしが彼らを好きで居続けられなくなった理由は様々あります。
デビューって、こんなものだとわかってはいたけれど、実際に自分が応援していたグループが該当するととても難しい気持ちになるのですね。


わたくしごとではありますが、わたしはつい最近まで就職活動をしていました。その中で 自己分析 というものをしていました。今まで自己分析なんてしたことなかったから新たな発見があったのですが人って 自分はこういう人だ と思ったらそうなろうとするんですよね。わたしも、友達も、そうでした。自己分析なんて結局は客観的に見れずに主観的に見た希望もたくさん入った結果なのに 自分はこういう人間なんだ と思ってしまうとそんな人間に近づこうとしている自分がいた。 わたしはこういう人間だからこういう時はこうするな なんて自分なのに自分じゃないみたいに考えて行動したりした時期もありました。
彼らもそうだったりするのかなーって思ったりもしたんです。世間からの声、自分の理想、周りからの評価、そんなものが混ざり合って自己分析という名のよくわからない 自分作り が行われた結果、 アイドルとしての自分 を演じ続けている。酷いとそれが自分の性格だと思い始めたりもする。そんな風になっているのかもしれないと考えたりもしました。
わたしの勝手な意見ではあるけれど、何か大きな出来事があったあとに性格が変わったから好きじゃなくなった、と言うのはもしかしたらすごく残酷なことなのかもしれないなと。

SnowManが、佐久間くんが、好きだと気がついてからのKis-My-Ft2の現場にはSnowManがいました。今回のツアーには恐らくSnowManはいません。自分自身どうなるのかまったくわからないですがなんだかんだ会場から出てきた時には満足感に浸っているのかなと思ったりもしています。
そこに立ってればいいんでしょ?という雰囲気を醸し出した演出を繰り返すようなグループではないと信じていたいから。2ndとは、Journeyとは、まったく違う路線の演出をしてくれると信じていたいから。たくさんの期待を込めて初日、足を運びたいと思います。Kis-My-Ft2好きでいたからこそ出会えた大切なお友達とともに。


彼らはたくさんの人に出会わせてくれました。
彼らはたくさんの考え方を授けてくれました。
彼らはたくさんの景色を見させてくれました。
彼らにはたくさんの感謝があります。
記念日にはおめでとうよりもありがとうを伝えたい。
その場にいてくれてありがとう。
その場にいることを選んでくれてありがとう。
笑顔と勇気をありがとう。
良い思い出も悪い思い出もたくさんたくさんあって、思い出すと涙が溢れてしまいそうになるほどこの8年弱は濃いものでした。 完全に離れることはできないと思う と言うのは間違っていないのかもしれない。わたしは、過去の彼らには縛られたままだから。節目節目にこうやって思い出して想いをつらつらと書き連ねて文字にしていくと毎年毎年こみ上げてくるものがたくさんあってやはり彼らを好きだったのだと、わたしにとっては大きな存在だったのだと、思い知らされるから。


彼らに対する不満は口を開けばたくさん出てきます。でも、それを言わないようにした。SnowManに逃げることで違うことを口から出すようにした。それが正解なのか不正解なのかはわからないけれどわたしは今、もやもやしていた1年前よりも確実に明るい気持ちで彼らを見ることができている気がします。離れてみるのも案外良いものなのかもしれませんね。

来年は、どのような文章を書いているのでしょう…







2015.02.12






あれから4年ですか。4年…かぁ
例年のごとく年に2回更新している記事を読み直してきたのですが。


だからわたしから彼らをなくすことはできないんだなって、彼らから離れる日はもしかしたらいつかくるのかもしれないけどわたしの中に彼らは居続けるんだろうなって。彼らにであえてよかった。応援できてよかった。やっぱり、おめでとう、というよりも、ありがとう、という方がしっくりくる。そこにいてくれてありがとう。居続けてくれてありがとう。


1年前の今日更新した記事にこんなことをわたしは書いていました。その前の年は二階堂さんに本格的に揺れ始めてる時だったみたいででもやっぱり玉森さんは離れられないんだろうなぁと言ってるんだけど(1年半後完全に降りますよと当時の自分に伝えたい)その二階堂さんですら今は危うい状態で。
振り返るとちょうど今がデビュー前とデビュー後と年数が半々みたいなんです。2008年頭に好きになって2011年夏にデビューするまで約3年半ちょい。2011年夏にデビューしてから今日まで約3年半ちょい。はちねんめ、とやらに入ったみたいなんですけどもデビューを境にしてちょうど折り返しが終わった時期みたいで。

1年前の記事を書いた時は 離れることなんてないんだろうなぁ と思いながらあの文章を書いていたんだろうけどあれから1年経った今、本気で離れようとしている自分がいる。でも、あの時書いたように心の中にはずっと残ったままなんだろうなという気もしてる。

年度末をめどに 今後の方向性 というテーマでのひとりごとを書きますと言って実際にすでに書き始めているのだけど先にネタバレしてしまうと恐らくそこで結果が出るわけじゃないんだろうなと。やっぱりななねんってわたしにとって大きかったんだろうなと。
 周りの環境 というワードをわたしはよく使うのだけどそれをどうしても好きになれないのに変わりはないみたいで。ファン、楽曲、売り出し方、事務所、グッズ、そして世間の目、等々を周りの環境という言葉で表しているつもりなのだけどなんて言うのかな、全てが100%嫌いなわけじゃなくて全てが80%〜90%ずつくらいの比率で嫌いで、だから好きな部分もあるっちゃあるのだけど。ここに 本人 も入ってくれたら楽なのにとよく思うのです。それが 嫌いになれたら楽なのに なんです。
わがままでしかないことは分かりきってるしこんな考えの人間ならばいない方が彼らのためだと思う方もたくさんいるでしょう。それがわかってるからこそ離れたいし完全に降りたいのだけどそう簡単にはいかないみたいで。往生際が悪いんですよね。
だけどね、彼らだけを、売り出しも事務所も全く関係のない彼らだけを切り取った部分を見るとやっぱり好きだなと思ってしまう。その典型例が先日発売されたKis-My-Journeyの舞台裏映像ですよね。わたしは手元に無くてまだ全てを見ることはできてないのだけどみなさんがあげてくださる映像を見るだけでも好きが溢れてきてしまう。こうしなきゃいけない、こうでなきゃいけない、という縛りがない時の彼らがやはり好きなんだなと思った。だからわたしはJr.にはまるんだろうなと思うんです。

キスマイごととして記念日に文章を書いているところに別グループの話題を入れるのもどうかと思うのだけどわたしのじゃにおたヒストリーとしてここに書き記しとくと現在はSnowManとほぼ掛け持ち状態にあるというよりむしろほぼすの担状態なわたしです。8月10日の記事にそのことが全く触れられていないのはあの当時はキスマイピークだった時期ですのになんて全然目がいっていなかったのだけどその約1ヶ月半後、どりぼのわたし的千秋楽で見事佐久間にどはまりして転げ落ちるように加速して すの > きすまい 状態になったから。詳しくは年度末をめどに書き上げたいと思ってるひとりごとに書くはずだからここでは省略。


わたしは 誰かに操られているKis-My-Ft2 を好きになったわけじゃないんだよなー、と。自分たちで思ったように動けるようになるまでには時間がかかることはわたしにだってわかってるけどだってまさかここまで推されるグループになるなんて思ってもなかったじゃん見捨てられたグループだと思ってたじゃん。やっぱりわたしは 推される ことが苦手なんだなぁと改めて。
コンサートだって本人構成のほうが評判いいし舞台裏も本人が回すカメラ映像もあんなに評判いいんだから気がつかないかな、スタッフが売れるだろうと思ってるもの(売りたいもの)と実際求められてるものは全然違うんだってことに。そろそろ新規獲得用のマニュアルは捨てて継続させる用のマニュアルに切り替えないと5年後10年後が怖いですけどね。まぁ事務所にとっては今稼げればそれでいいのかもしれないけどさ5年後10年後なんて新しい子達もたくさん出てきてるんだろうし。

えびきすコンやってくれたらすっぱりきっぱり降りられるのかもしれないけどまたそれも内容によるんだろうなぁとか思ったりして。今の状態でえびきすコンやったってたぶん不満も出るんだろうし(客席に対して)。なんだかんだ理由つけてきすまいを繋ぎとめようとしてるあたり、離れられないのかなと思ったりもするけどたぶんそうじゃない。数年後のために離れたくないだけ。

最近ではもうすののことしかほとんど呟いてないわたしですけど今日みたいに時々きすまいに目を向けるとああやっぱり好きなんだな離れられないんだなって実感したりもするんです。でも思い出を過去を見た時にそういう感想が出てくるのはやはりわたしがきすまいについて行けていない証拠であるような気もして。いつまで経ってもわたしの中で最高のきすまいは2009年2010年のきすまいだから。
当時の文章読み返してると思うことは もうこの頃ほどの熱量で彼らを応援は出来ないんだろうな ということ。あの頃は 好き しかなかったから。そう考えると今全力で彼らを好きでいる人たちにとってわたしみたいな曖昧な人間はファンとは呼べないのかもしれないなぁと思ったりもして彼らも大きく変わったけど同じようにわたしも変わったんだろうなと思ったりもするんです。


TL見てるとこの日に思入れのある人ってデビュー日よりも今日の方が大事な日だと思ってる人が多くてそういう人たちの懐古とか見てると 好き が溜まっていく。
今も変わらず 好き を続けられてることに羨ましさを感じるんですよね。自分も同じような方向に変わっていければよかったのかな。でも、そこまでしてついて行かなくてもいいんじゃないかと思ってしまう自分もいて。この半年でわたしの方向性は大きく変わったことに間違いはないみたいです。

決断という決断はまだできません。都合よすぎると言われるかもしれないけどそれでもまだ担当枠から外したくはない外せない。そんな風に思う5回目の2月12日。

時間があれば4年前の映像引っ張り出して来て見ようかな…







2014.08.10


3年、かぁ…
長いようで短かった気がする。
3年前にこの日を迎えたときはぐっちゃぐちゃな気持ちだった。デビューが決まって嬉しさよりもさみしさや悲しさが大きかったわたしが半年かけて気持ちを整理して。だけど整理しきれないままこの日を迎えて。11日に福岡でおめでとうと彼らに直接言えたことでだいぶすっきりしたのだけど。
まさかこんなに大きなグループになるなんて思ってもなかった。こんな色のグループになるとも思ってなかった。
正直嫌だなーって思う部分はたくさんあったし受け入れたくないこともたくさんあったし。いまだに昔のほうが好きだと思う部分はあるし昔の映像に沸いてる自分もいるし。こんなわたしがおたくやってていいのかななんて思うことは日常茶飯事で。ループ入ったりブラックホール入ったりなんてのはよくあることで。
それでもなんだかんだ3年なんだもんなぁ…

デビューが決まった2月12日にどーする深夜で冠なんかしちゃったらwwwなーんて話してたのが思いの外すぐに実現しちゃってこっちが慌てたりあんなに埋まらなかった福岡がデビュー次の日の公演で2時間グッズ列並ばされたり絶対売れないわwwwwwwって思ってたのに爆発的に人気出ちゃったりびっくりするくらい想像と真逆なとこ行ってくれるキスマイさんですけども。
幻のあの曲が5月に発売されてたとしたらそれがデビュー曲になってたとしたら今とは違っていたのかな、なんて考えることはたまにある。(その曲が題名を変えて歌われている可能性もあるけども)
だけどもしもなんてなくて、キスマイのデビュー曲は紛れもなくEverybodyGo!なわけで。
最初に少クラで見た時に(藤北こん行ってない)、この曲がデビュー曲になるんだろうけどなって欲しくない、と思ったくらい好きじゃなかったこの曲がデビュー曲になってしまったわけで。まぁ今でも好きなほうじゃないけども。デビュー曲ってその後のカラーを決める大事な曲だと思ってるからさ。それまでのキスマイらしさというものが皆無でまったくの別グループみたいな楽曲持って来られてもしっくりくるわけなんてなくてさ。でもあれがあったから今のキスマイがあるんだなぁと思ったら何にも言えないんだけどさ。
彼らの夢とわたしの希望と世間の期待と事務所の作る現実はおそらく全部食い違っていて。それは別に珍しいことなんかじゃなくて。
そっかー、えいべっくすに貢ぎ始めて3年かあ…
たきつばの下なんて安泰じゃん!って言われたけどお財布はギャン泣きだよ!って言うね。笑
とか言いながらなんだかんだ買い続けて3年。本棚を見たぱぱさんにドン引きされました(笑)

どこが好きなのか、と問われると返答に困ります。なんでおたくやってるの、と問われると言葉に詰まります。そんなわたしですがななねんめ、というやつをやらせてもらってて。わたしの思春期には彼らがいてわたしの思考や感情は彼らというフィルターを通して積み上げられてきたものだと今でもわたしは思ってる。彼らがいなかったら今のわたしはいないし、今仲良くしているお友達とも出会えなかった。やはり彼らにはおめでとうよりもありがとうを伝えたい。

きょんちゃんの居た8人時代もその前のFt.時代も絶対に忘れないでいたい。わたし自身もリアルタイムでは見れなかった人間だけど少クラで、この7人で、と北山さんが言った時は泣きそうになったのを覚えてる。7人で、やっと方向性合わせて覚悟を持ってやっていくことを決意したのかって。今でも泣けるけど。てか泣いてるけど。デビュー決まった茶封筒のWSもれぽも新聞も、デビュー前埋まらなかった狭い会場とか無料にしても捌けなかったチケットとかそんなのを思い出すだけで泣けてるうちはたぶんおたく辞められないんだろうな、なんて考えたりもして。
デビューしてファンが増えてドーム埋めちゃうようになって。チケットがこんなにも取れなくなるなんて思ってもなかったしすのどのときに初めて全滅経験した時は笑うしかなかったし。彼らの目標がてっぺんとることだったことを考えると嬉しいことなんだろうけどね、やはりもやもやはあるものです。

北山さんも言っていたけど、人気だけが一人歩きしている、というのはあながち間違っていないように思えて。アイドルって結局は娯楽だから長続きするものじゃないとおもうんですよ。今好きだと言っている人の何割が来年も好きだと言っているかわからないし、去年好きだと言っていた人の何割が今彼らを好きだと言っているかもわからない。デビュー発表された会場にいた人の何割が今も彼らを追い続けてるかはわからないしえびきすやった会場にいた人なんて3割も残ってないんじゃないかとさえおもうほど。
どんどん新しいグループがでてくる芸能界という世界で彼らがどれだけファンの心を掴めるか、ということなんだろうな。

Jr.だから輝いてた部分があるのだろうなというのは否定できなくて。デビューしたい!ってがむしゃらに前だけを見て突っ走ってた2010年はやはりいつまで経っても好きなものです。単独コンサートを重ねて7人の方向性合わせてホップステップ繰り返して行ける行けそう!って思ってただひたすらに頑張ってたあの頃。いくら彼らがあの頃は…(苦笑)なんて言おうとわたしはあの頃の彼らが一番輝いていたと思うのです。行ける行ける!って頑張ってる彼らと行ってやれ行ってやれ!って応援してるファンの関係も大好きでさ。あーあの頃のお姉様たちは今頃どうしてるんだろう…なーんて考えてみたり。

なんだかんだで二階堂に降りたわたしですが玉森さんを見てきたろくねんはんはやはり消せないもので。思い返すとたくさん言いたいことは出てくるしそれと同時に涙も出てくるけどそんなの書いて行ってたらきりがないからやめときます。でもね、福岡で玉森さんday作って見てたけど立派なセンターだったね。わたしの中ではどうしても藤北つーとっぷが消えなくて玉森さんわんとっぷに納得のいかない日々が続いたこともあったけどなんかね、色々と納得できた。やっぱり彼はわんとっぷじゃなかったから。基本は藤北つーとっぷなんだよ、きすまいってさ。MCも進行も玉森さんはやっぱりお兄ちゃん任せで。フォーメーション的にトップ張ることはたくさんあってその時は本当に堂々として立派な立ち振る舞いをしてるけど、そうじゃない時はやっぱり玉森さんとっぷじゃないからさ。
おてて振ってるだけでキャーキャー言われておてて振ってなくてもキャーキャー言われて会場には黄色い子がたくさんいて歓声もいちばん大きくて、あー玉森さんってこんな子になったんだなぁって思ったりもして。その全てがもう担当目線じゃないと思えたからわたしは完全に二階堂に降りたんだなとは思えたのだけど。
だって可愛くて仕方がない二階堂さんがたくさんいたのにそこには一切反応しない会場に意味がわからなくなったわたしがいたからああこれが盲目というやつなのかとひしひしと肌で感じてきたんだもん。


あーだこーだ言いながらここまで着いて来たわたしなのでおそらくそう簡単には離れられないんでしょう。正直きすまいさんのいない生活というのは想像ができません。イラついたり呆れたりムカついたりすることもあるだろうけど草生やしたり萌え死んだり可愛すぎてげろかわげろかわげろげろげろげろしたりしながら気づけば10年みたいなことになってるんだろうなあ…
5年前のわたしにキスマイデビューするよ、Jr.時代の面影もなくデビューして爆発的人気だよ、なんて言っても信じないんだろうなあ。ましてやドームツアーしてるよ、って言ったらアリーナも埋めてないのに?wwwwwwって完全にネタにしかしない自信があるわ。笑
でもそれだけ大きくなったってことなんだもんな… 5年後、どうなってるかなんてわかんないもんね。


まとまりがなくなってしまったけど…

たくさんの人に出合わせてくれて
たくさんの感情を持たせてくれて
たくさんの経験を積ませてくれて
たくさんの景色を見させてくれて
ほんとうにありがとう。
あなたたちがいなかったら今のわたしはいない。こんな素晴らしい人生にはなってなかったと思う。何か大きなことをしようとするのではなく、ずーっと何年先も何十年先もその場所に居れるようなそんなグループになってほしい。あなたたちに支えられてる人はたくさんいるはずです。いつまでもその場所からわたしたちに笑顔を見せてください。たくさんの希望を、そして勇気を、わたしたちに与えてください。


デビュー3周年おめでとう。
そしてそこにいてくれてありがとう。
いつまでもあなたたちらしくいてください。応援しています。

2014.02.12

この日に長々と文章を書くのは4回目になるのか。3年前のこの日、Kis-My-Ftに逢えるde show vol.3 代々木第一体育館昼公演で15時頃安井くんが持ってきてくれた茶封筒でデビューが発表された日。プレゾンやって、そのまま1stツアー決まって、回って、最後の名古屋で色々あったりもして、人生、滝沢革命やって、そこの千秋楽で何か発表?いや、なかったねーってなって、2ndやって、オーラス5月5日大阪で何か発表?なかったねーってなって、お仕事ぷつりとなくなって、写真集だして、かつんアジアツアー付いて、革命出れないこと決まって3rdが理由だってなって、そこの最終日昼公演での出来事。何かあるとは思ってた。でも夜だと思ってた。その日はわたしテスト前で東京行けなくて。だけど1人で家で勉強なんて絶対できないから友達誘ってファミレス行ってて。でも勉強なんてやっぱり進まなくて。マガ流れてきてデビュー知って。嬉しいのと悲しいのとたくさんあって。昼と夜の間の時間に会場入ってた梨永と電話して。深夜で冠持ったらどーする?ww なんて話したりもして。実際すぐ深夜に冠持っちゃって。でもわたし自身はデビューをすぐには受け入れられなくて。その日のレポ読んで泣いて、次の日新聞見て泣いて、その次の日WS見てまた泣いて。祝福したいのにできない自分がいて。もやもやしたしいらいらしたし自分で感情がコントロールできなくなって。学校の友達にも話たくさん聞いてもらって。でも彼らの夢は応援してたいしそれをわたしの夢にもしていたくて。彼らの今までに見たことのない姿見て喜んでる姿見て、それでもわたしが受け入れられてないのが辛くて悲しくて。何で?って。頭ではわかってるのに心がついていかない。たくさん悩んだしほんとにもう無理だって思ったこともあったし。でもやっぱり嫌いになんてなれなくて。震災を超えて8月10日のデビュー日まで、たくさんぐるぐる考えて、半年もの期間を経て11日のコンサートで本人たちにおめでとうって、ちゃんと言葉にして伝えることができた。すっとした。その言葉を素直に口に出せたことがわかった瞬間にすっと軽くなった気がした。これからもこの人たちについていく。そう思えた。だけどこの4thでグッズ列が長蛇になったこと。2ndの福岡では紐で作ってある列から出たことはなかったのに4thでは駐車場ぐるりして2時間くらい並んで。キモチワルイキモチワルイって言ってた。ら、近くでもそんな声が聞こえて笑えてきたりした(笑) デビューってこういうことかって。ファンが増えて彼らの色が変わって方向性も変わって。正直わたしデビュー曲は好きじゃないです。最初に少クラで聞いた時にこれがデビュー曲になるんだろうけどならないで欲しいなって思った。色が全然違ったから。わたしが知ってるキスマイは黒、紫、青、夜、ホスト、チャラ… こんなんだったから。爽やかに明るいPOPな曲なんてビジネスすぎるだろって。でも外の世界でやってくにはこうするしかないのかなって思ったりもして。その先のA面もわたし的にはデビュー前の曲よりも好きになれないことが多くて。正直に言うと玉森ごくせん決まった後1年くらいはごく出は無理と思ってたし美男終わって1年くらいは美男出無理だと思ってたの。てか役から入るってのが嫌いだったの。実際廉で好きになってその後にこんな人だと思いませんでしたって降りてった人見ちゃったから。は?ってなった。それは玉森担じゃなくて廉担だろ?って。役で役者の性格決めるなよって。何も知らないで好きになっといて色々知って離れるとかまじなんなの?って思ってた。でもしばらく経ってまだ玉森続けてる人見て玉森本人の性格見ても好きで居続けてるんだなって思ったら大丈夫になった。
わたしがキスマイに落ち着いて携帯を手に入れて検索かけまくってマガの存在を知って購読し始めて、その時の発行者様だったお姉様方がわたしは大好きでした。ただ愛でるだけじゃない。草生やすし悪いところは指摘するし貶したりもする。細かいところもちゃんと見ていて自分の感想と意見をしっかり持ってる。ユーモアもあって面白くて。その方たちが今どうしてるかはわからない。デビュー後1年あるいは半年経たずに降りた、辞めた人もたくさんいた。Twitterに人が流れてスイマガなくなって今の消息は掴めなくて。でもわたしの今持ってる視点だったり感覚だったりそういうのを教えてくれたのはあのお姉様方だったから。伝えられるならありがとうございましたと伝えたいと思ったりはする。
キスマイはデビュー前とは全く違う色になって。全く違うビジュアルになって。ファンも全く違う層になって。これはいつも言ってることだけどあの日代々木であの空間にいた人達は、あの一生に一度のあの空気を味わった人達は、今どのくらい残ってるんだろうって。半分もいないんじゃないかなって。彼らは去る者追わず来る者拒まず精神でやっていくんだなーって。方向性がガラリと変わって、それは彼らの意思ではなかったかもしれないけどやっぱりその後も戻るとこはなくて。たぶんこの先何年見ても戻ることは確実にないんだろうけども。数年後、ファンはどうなってるんだろうって。この勢いがいつまでも続くとは思わない。いつか絶対落ちる。今がピークになる。そんな気がしてしまっている。関西がデビューしてそっちに流れる人もいるかもしれないしその後また東京からかわからないけどどこかしらがデビューしたらそっちにも流れるんだろうし。完全に 流行り というものになってしまってるんじゃないかなって。わたしは別に人気があることが嬉しいわけじゃないしむしろ早く落ち着いてくれと思っている身だからあれなんだけどさ。
そして過去に書いていた自分の長々とした文章を毎回のように読み直してみたんだけどやっぱり雑誌、TV等の媒体に出れることに感謝がなくなった。毎日のように見れることが、声を聞けることが、当たり前になってしまった。なんなら年末某番組に出ないなんてありえないというアホまで出てきた。傲慢すぎる。そう思ってしまうのはわたしだけ? 少くらだけしかなかった時代、5誌だけしかなかった時代。もしそんな状況に戻っちゃったとしたらどうなるんだろうなーって思ったりはした。メディアに出てるから好きで居続ける、それもあるのかもしれないけどそれがもしもなくなった途端に離れるとしたらやっぱりわたしは頷けないよなーって。そんな人間なんです。
わたしだって8人の時代を見てきたわけじゃないしそれこそKis-My-Ft.以前も見てきたわけじゃない。そんな人間だからあーだこーだ言える立場じゃないのかもしれないけども。でもアイドルってそんなもんなのかなーって考えたりもする。
わたしにとって彼らは人生の一部であり生活の一部でもある。彼らがいなかったら今のわたしはいないし、こんなにたくさんの人たちとであうことはなかった。彼らを通じてであえた人の人数はものすごく多くて彼らを応援していることで、おたくじゃなかったら味わえなかった感情も味わうことができたしであうことができなかった人にもであうことができた。わたしの性格も彼らを通して作られてる部分はあるだろうし、ものの見方、考え方、捉え方、様々なことがキスマイというフィルターを通して学んだ、知ったことだと思う。だからわたしから彼らをなくすことはできないんだなって、彼らから離れる日はもしかしたらいつかくるのかもしれないけどわたしの中に彼らは居続けるんだろうなって。彼らにであえてよかった。応援できてよかった。やっぱり、おめでとう、というよりも、ありがとう、という方がしっくりくる。そこにいてくれてありがとう。居続けてくれてありがとう。

とりあえず知名度上がったみたいだしさ、デビュー組の下の枠もだいぶ増えてきたからさ、きすまいさん一旦引こうか? ちょっと走りすぎです。フルマラソンを未だに100m走のスピードで走ってる感じ。スタートした時に一緒についてきた人たちはどんどんリタイアして行ってるし歩道から加わってきた人たちもだいぶ追いつかなくなってきてるし。リタイアも増えてきてるし。デビューという区切りを経てその後しばらくしてから走り出した人たちしかついていけてないよ?って思っちゃう。前にも例えたけどこんな風にマラソンみたいに進んでて先頭にメンバーがいてそのすぐ後ろにまだまだ元気な子達がうじゃうじゃいて、疲れてきてとりあえず彼らの道を辿ってるような人間がその結構後ろにいて。彼らが船に飛び乗っちゃったら元気な子達は一緒に飛び乗れるけど疲れてる子達は出港に間に合わないんだよねーって。突っ走るのもいいけどもうちょっと周りを見て考えられるグループになってほしい。求められてることを与えられるようなグループになってほしい。俺らを見れればいいんでしょ?みたいなコンサートやらないグループになってほしい。ローラーを外周回るための道具だけに使って欲しくない。とりあえずファンサ曲増やすようなセトリにして欲しくない。みんなで考えて、ダンス合わせて、今できる最高のパフォーマンスだと自信を持って言えるような、過去のどのコンサートよりも納得のいくものになっていると言えるようなものをつくりあげてほしい。そんなことができるグループに、いつかなってほしい。新人という扱いはもうされない。でもあらゆる現場に慣れてきたわけでもない。素人でも玄人でもない1番難しくて大変な時期。たくさん壁にぶつかって自分でそれを壊すなり登るなりして解決しながら成長して進んで欲しい。それを見ていたい。Kis-My-Ft2の色を、自分たちで決めて提供できるように。まだまだ時間のかかることだとは思うけど彼らも、ファンも、納得のいくようなものをつくりだせるようになって欲しいなぁと思うものです。
とりあえずえびきす実現するまでは着いて行くから。← 10年後とかにさ、実現できたらいいよね。カウコンのえびきすでいぶれは本当に心臓震えたからさ。あのドームに12人。12人しか立ってなくて。でいぶれ歌ってるの。言葉に表せない何かがあって。思い出すだけで鳥肌が立って。最高だった。舞祭組でのあの歓声も嬉しかったけどあのでいぶれでわたしは全部を持って行かれた。やっぱりえびきすだと思った。互いに仲間でありライバルであり。えびがいてのきすまい。きすまいがいてのえび。仲間だしライバルだけど支え合ってて。ほんとに3時間ただただ12人でトークして最後でいぶれ歌って終わるコンサートでもいいからさ。いやこれファンミみたいな感じになっちゃうけどさ。絶対成り立つから。いつかやって欲しいなぁ…

とりあえず、デビュー発表から3年。彼らにとって今日はどんな1日になるのかわからないけど。にかわたは舞台だけど。他もお仕事あるのかもしれないけど。彼らにとって色々と振り返り思い出し改めようと決意する日になって欲しいなって。彼らだけじゃなくて。わたしたちも。わたしは何事もやっぱり当たり前だと思いたくない。出させてもらってる、そういう感覚じゃないのかなーって。シングルも、アルバムも、ツアーも、毎年同じようなサイクルでやってるから出て当たり前、やって当たり前。シングルなんてまたか、みたいな感情になりやすいけど。正直わたしもなってるけど。いつか絶対このサイクルは崩れるし1年に1枚も出さない年が来ると思う。ツアーも毎年恒例じゃなくなると思うし。そういう風に考えたら今のこの状況っていうのはほんとに恵まれてるんだなって実感するわけで。デビューしてからの推され具合が半端ないから慣れちゃってきてるんだろうなぁとは思うけど。やっぱりこういうのきっかけに初心に戻りたいなぁとわたしは思うわけです。何事も初心は大事。今年もそんな風に考えた3年目の2月12日の始まりでした。

わたしなんかの立場の人間が言えることじゃないのかもしれない。ある1人のファンの戯言だと思ってくれれば幸いです。長々とお付き合いありがとうございました。

2013.08.10

最近はan・anも発売され藤ヶ谷さんがオールヌードを披露しているようですがわたしも買いましたよ、ええ。まだ紐解いていないですが。いまだいちまんじも読んでいないわたしです。裸は注文ミスできみきせと共にお届けになりました。駄菓子菓子← 届いた直後に帰省でございます。一度放置してしまうとしばらく見なくなるのがわたし。よしおもいまだ見ていません←

まぁそんなことはいいとして本日8月10日、Kis-My-Ft2デビュー2周年でございます。レッドカーペットに車で出てきてさらにその車からローラーはいて出てきたあの日から2年も経つのかと。思うことはたくさんあります。悩むこともたくさんあります。いろいろ考えたけどやっぱりわたしは完全には彼らのデビューを受け入れられてなかったのかなって。というかデビュー後にできたファンの一部を受け入れられないのかなって。

わたしもたまーに自分の日記を読み返したりするんだけどさ。ほんの数日前にも読み返してたわけよ。まぁ2010年8月10日に書いたあのいちまんじを越える暇潰しに最高の長文は何故か500lookもあってびびったけど(そのうち何回がわたしかはわからないが←)で、やっぱり当たり前になってしまったなと。テレビも雑誌もラジオも、冠持ってレギュラー持ってることが当たり前。それにありがたさを感じない現状ができてしまったなと。そしてなにより傲慢なファンが増えたなと。出るのが当たり前どころか出ない意味がわからないと言う輩が出てきたことはわたしがおたくやって来た中で最高に悲しかった出来事だった。今しか知らない人たちは少くら5誌しかなかったあの時代の状況にもし戻ったとしたら降りるんじゃないかなんて考えたりもした。ただ露出があるから離れないでいるだけじゃないかなんて考えたりもした。

わたしの中の黒い部分が移動してますます黒くなった気がした。

よくよく考えるとわたしはほんとにキス担さんが好きだったんだなって。キスマイを好きな人たちが好きだったんだなって。ずっと大好きだったキス担さんがデビューすることによってがらりとメンバーが変わってどうもわたしが好きになれない人たちが目立つようになっちゃって。そんなのわたしのエゴでしかないのに悩むことも考えることも増えちゃったけどそれでも離れられないのはKis-My-Ft2というグループにすごく助けられた過去があるから。最近、関西Jr.の平野紫耀にはまってはいるけどやっぱり降りるつもりはないしわたしがキスマイから離れる時はグッズとかも全部手放すつもりだしおたく自体を辞めるつもりだからそんな日が来るとはやっぱり今は思えないし、いくらキス担さんに苦手な人が大量に出てきてしまったとしてもわたしはKis-My-Ft2が好きだからキス担は辞められないんだろうなと。結局いくら悩んだってループするばかりで辿り着く先はおなじなのに何回も悩んで。
彼らが居なかったら隙間なんていなかったし今いる友達も居なかった。彼らを通じて知り合った人はたくさんいるし彼らを見ていたからこその考えもたくさんある。今のわたしという人間は彼ら無しでは語れないのは事実だし同じようにキス担さん無しでは語れないのも事実。たぶんこれからもわたしの中でKis-My-Ft2が消えることは無いだろうしキス担さんが消えることもないと思う。また来年も同じように考えて同じような文章書いてるかもしれないけどそれでもいいのかなって。節目節目にこうやって気持ちを言葉にして残すことは普通しないだろうしそれを読み返すことなんてあんまりないと思うから。こうやって毎年少なくとも2回は、デビュー日と発表日の2回はつらつらと長い文章書いて今思ってることを文字として残しておくことはすごく大事なことなのかなとも思ったりする。

初心忘るべからず、彼らにも言いたいことだけどわたしたちファンも心に置いておかなければならないことだなと改めて思った日でした。

おめでとうとありがとう。直接彼らに伝えられるのならありがとうを伝えたい。そこにいてくれてありがとう。たぶんわたしはこれからも彼らに助けられることでしょう。たくさん文句も言うかもしれないけどやっぱりKis-My-Ft2というグループなしではわたしは成り立たないんだなと。結局何が言いたいのかというと、これからもKis-My-Ft2Kis-My-Ft2でいてくれということです。

以上!