年2回の更新

2月12日と8月10日

2011.08.10

とりあえず長いです。1万字越えてます。というかどちらかと言うと2万字に近いです。人それぞれ考え方は違います。ある1人のファンの考えとして読んで頂ければ幸いです。
暇潰しに、どうぞ。



Kis-My-Ft2がデビューする、そう最初に聞いたのは2月12日15時だったね。本当に驚いた。心の準備はしてるつもりだったけど、1部でカメラ入りって聞いて安心してた自分も居た。

テスト前で友達と勉強しようかって12日に何かあるってのは予想ついてたから自分から友達誘ってファミレス行ってて。知った瞬間泣きそうなった。でもその理由は嬉しさじゃなくて、何とも言えない複雑な気持ち。

落ち込んで病んで、受け入れたくないって子どもみたいにわめいて、勉強なんて当たり前に手につかなくなって。テストの結果はほんとに悲惨でもしょうがないよねって割り切ってた。

何人もの友達に話聞いて貰ってたくさんの言葉貰ってやっと気付いた。
否定的にとらえても良いことはないってこと。

あいつらがあんなに喜んで、今までに見たことないような笑顔ふりまいてるのにファンが悲しんでちゃあいつらだって嬉しくない。だから変わらなきゃって思った。デビューを受け入れたいって思った。でもそんな簡単なことじゃなくて、言葉では言っても、脳では思ってても、心が付いて来なかった。
でもわかったことがあった。
あいつらのことで喜んで自分のプラスにしていくのはいいことだけど、あいつらのことで病んで自分のマイナスにしていくのはよくないってこと。しょうがないって言うのはおかしいってこと。

あいつらに一喜一憂するのはいいことだと思う。でもそれが原因で自分の本職に手が回らなくなるのはいけないことだと思う。そんなことあいつらは望んでないだろうしね。
そんな風に思えたから頑張ることができた。もうテスト前日だったけどそこから頑張ろうって思えた。
正直結果は悪かったけど自分なりには頑張れた。第一テストが重なってくれてたお陰でまたひとつ大切なことがわかった。もし重なってなかったら絶対こんなこと思わなかったから。
12日はたくさんの人のれぽ読ませてもらってそれ読むたんび泣いて、13日は新聞読んでまた泣いて、14日はWS見て朝から泣いて、ほんとに毎日泣いてた。
あいつらは心から喜んでるのに祝福できない自分が凄く嫌で、喜びたいのに喜べないのも嫌で、心の中に渦巻くものが日に日に大きくなって汚い色に変わってってそれがまた凄く嫌だった。

自分の中にある汚い心はたぶん無くなることは、ない。
キスマイが大嫌いだってそう言う子が好き。だってその子はこれからキスマイを好きになることなんてほとんどないに近いでしょ?ある日友達にこの人は生理的に無理って言われた。でもそれすら嬉しかった。だってその子はその人のこと絶対に好きにならないから。
そういうのが自分の中の汚い心。独占欲が強いのかもしれないけど。でも同担は大好きなわけで、まぁ貶し愛の子のが好きなのはそういう背景があるからなのかもしれないんだけどね。

あいつらに似合うファンって一体どういうのだろう。こんな考え方するのは似合わないファンなのだろうか。でも、似合う、似合わないってよくわからない。どれが似合ってどれが似合わないかなんて、もしかしたら答えなんて無いのかもしれない。でも確かに言えることはあいつらに迷惑かける人は似合わないファンだと思う。それだけは言えると思う。

キスマイが今のメンバーに落ち着くまで月日がかかったね。同じグループで活動してた人がデビューした人もいる。後輩がデビューしたりもした。Kis-My-Ft2というグループになってメンバーが8人から7人に変わってやっと今の形になっていろんなこと経験したね。
Jr.の活動の中で得たものはあいつらにとって宝物になると思う。いくつものグループのバックについて日本からアジアからまわってそれぞれの特徴も見てきた。
Jr.期間が長く遅咲きだって、どのメディアでも言われる。それが良いことなのか悪いことなのかは人それぞれ捉え方があると思う。だけど何言われたってあいつらはあいつらのペースで進んで行けばいいと思う。
Jr.活動の中で得たステージの組み方、自分の魅せ方、演出の仕方、歌い方、踊り方、話し方、そして何と言っても全国各地、アジアまでまわったあいつらならではの各土地の特徴。デビューの時点でバックとフロントどちらも全国経験してるJr.なんてなかなかいない。コンサートする中で定着したメンバーそれぞれのキャラ。
たくさんの経験をしたあいつらは強いと思う。数えきれないハプニングも経験した。耐え難い批判も受けた。一生懸命考えたことがうまくいかなかったこともある。デビューしていった先輩がずっと上手くいってるかと言えば首を縦に振り難いところもある。そういうところも全部見てきた。一回落ちたグループが上がってくるところも見てきた。それがたとえ自分たちに当てはまらなかったとしても得たものは大きいと思う。

辞めたいと思ったこと何度もあると思う。腐ったこともあったね。メンバー同士仲も良くなかった。だけどね、それを言ってくれたこと、すごく嬉しい。キスマイ嫌いだったって言った玉森に安心した。今は好きだから言えるセリフ。

例えるならあいつらは水分の多い花。どんなに踏まれたってもしも折れそうになっても絶対に折れない、そんな花。根っこはどこまでも伸びてて茎は柔らかいから曲がるだけ。友達が自分のことをこう例えててあいつらにも当てはまる、そう、思った。

いろんなこと経験した彼らが、大人になったあいつらが、これからどうやってKis-My-Ft2というグループを魅せていくかはわからない。Jr.という枠を超えて新しい場所で活動していく彼らはもうJr.という枠には戻ってくることはないだろう。新しく、そして広くなった世界でまた成長して行くのだろう。

キスマイに溺れて約3年半。最初はこんなどっぷり浸かるなんて考えてもいなかった。それまですぐ担当降りてたからキスマイもすぐ降りると思ってた。でも、もう3年以上、降りずにずっとついて行ってる。長いようで短かったこの3年半。
好きになったあの頃は雑誌も3ページが基本。対談したら短いから行間かなり空いてたしましてピンナップとかなおさら。PLAYZONEでちょっと変わり1stして2ndしてからの写真集でW誌さんは1人1ページという豪華さ。表紙も何度か経験して5誌から飛び出してみたりもして。TVもジャニーズのみではない番組にだんだんと出るようになって、少しずつでも確実に知名度上げていってた。
そして3rdであの発表。
何がきっかけだったかってやっぱりごくせんなのかな。いつも思うのは、コンサートより舞台より雑誌よりも何よりTVが一番知名度あげやすい媒体だなってこと。だってごくせんからの玉森担実際かなりいるじゃん。美咲からの藤北担、月9からの玉森担、美男からの玉ヶ谷担も同様。でもね、個人的意見だけどドラマからの担当さんはたぶんあまり合わない。いや、人によるとは思うけど。役のイメージから入って好きになってるわけでそれはほんとのあいつらじゃないわけで。大きなドラマほどそれは酷い。そういうふうに固定概念を作っていくことによって自分で自分を演じる機会が増えてる気がするから。でもその後、本当のあいつらを知ってそれでも好きな人はたぶん大丈夫だと思う。実際ごくせんももう2年も前になるんだよね。あの頃が本当に懐かしい。

あいつらにはできるだけありのままの自分でいてほしい。そりゃもちろんそれが難しい時があることくらいわかってる。でも周りからの言葉で自分演じてるあいつらよりありのままのほうが絶対かっこいいから。同じキス担になるんならあいつらの一番かっこいいとこちゃんと知ってほしいから。

人の好みって変わる。いつまでも変わらない人はいない。でも自分演じてたらずっと変わらないままかもしれない。
ぶっちゃけ3年前は太輔大嫌いだった。メンバーの中で一番嫌いだった。それが1年前くらいかな?あの、胸キュン出たあたりから、少しずつそれがなくなってきてそしていつの間にか好きになってた。
気付いた人いないかもけど今年入ったあたりかな、PLOFから副担消したの。宏光とにかだって言いきれなくなったから。太輔がびっくりするくらい大きくなってた。でも副担かって言われたらよくわかんなくて今でもあやふやなまま。
結構前の話だけど相方に付き合うなら太輔って言ったら本気で驚かれた。太輔凄く嫌いだったころを知ってるからだよね。でもそれほど変わった。こんなこと言っちゃ語弊生じるかもしんないけど人間の好みなんて所詮こんなもん。そりゃ例外もあると思うけど1回好きになったからってずっと好きかって言われるといつかは嫌いになるかもしれないわけでしょ?逆に嫌いであっても好きになることもあるわけで。人間って難しい。

1998年11月8日に太輔
2001年2月4日に渉、宮っち、にか
2001年8月17日にきょん
2002年5月3日に宏光
2002年12月1日に玉森
2003年4月13日にけんぴ
それぞれの卵が虹色に輝く原石を持って籠の中に産み落とされた。殻を破って出てきた彼らはまだ綺麗に輝いてはいなかった。沢山の経験を積んでいくうちにだんだんと石が磨かれていった。けれど綺麗に輝いてはいなかった。しばらくして少し成長した雛はいくつかにまとまって共に競い合い成長していった。それでも石は綺麗に輝いてはいなかった。
2005年7月26日、8羽の小鳥が集まった。彼らは互いに切磋琢磨して大きな鳥になろうとした。けれどいくつもの壁があった。低いものから高いものまで彼らは7羽になった。バラバラになりそうにもなった。全員の向いてる方向が異なったときもあった。それでも7羽でやってきた。
2008年10月11日~13日、11月8日9日、初めて自分たちメインのステージ。15羽で苦労と楽しみを心から味わえた場所。
2009年10月3日~12月27日、初めて7羽でまわった全国。ここでやっと全員が同じ方向を向くようになった。7羽の小鳥が大きな1羽の鳥になった。
2010年3月30日~5月3日、6都市の大きな会場。全部が満員になったわけじゃない。大きな会場の怖さを少し覚えたツアーだったかもしれない。大きな鳥が綺麗に輝きはじめた。
2010年12月28日~2011年2月12日、3都市での開催。オーラスの発表。あの空気は、あの感動は、最初で最後のもの。大きな鳥はもう籠の中じゃ羽を広げることは、できない。輝きも綺麗さを増した。
2011年8月10日、大きな1羽の鳥が籠から飛び立った。7色に輝くその鳥は、けれど、綺麗な虹色には輝いていない。いつになったら綺麗な虹色に輝くのか、それは誰にもわからない。もしかしたら明日かもしれないしかし10年後かもしれない。彼らを守ってくれた籠は、もう、ない。自分たちの力で羽を広げて羽ばたかなければならない。そしていつか、8色の虹をくぐり抜けて北斗七星にたどり着く。

あいつらのカラー随分定着したね。最初に北斗七星ジャージ着たときは玉森が金か黄色かで迷った記憶がある← なかなか覚えられなくて苦労したのが懐かしい。今となってはメンバー見ると背景にカラーが出てきて違う色だったら違和感ある。宏光の言ったとおりカラーがメンバーに近づいたんじゃなくメンバーがカラーに近づいた、だから黄色が好きになった。

玉森担になったのは3年前の夏だったかな。宏光より玉森のほうが大きくなってることに気付いたから。だから何日からとかないの。ぼんやりと、夏頃 ってだけ。そんなんで降りてもう3年。正直こんなに続くと思わなかった。実際にかに降りようと本気で考えたこともあった。悩んで相談して何回も何回もたくさんのことを考えた。出てきた答えはやっぱり玉森だった。なんでだろうね、あいつには引き付ける力がある。最初に好きになった頃の玉森は立ち位置はいつもはしっこで見切れ被りの連続で。ダンスもワンテンポ遅れてたし、トークでは話さないで任せっきり。あいつらしくマイペースだった。ごくせん出てから環境変わって藤北の間に立つことが増えたね。全然慣れてなくて初々しくて大丈夫?ってこっちが心配する程。最初はどうにか下がろうとして隙あらば後ろに行ってた。でも、慣れてきたんだよね。PLAYZONEで主演任されてコンサートしていくうちに馴染んできたんだろうね。2nd終わった終わらないあたりから一段落して落ち着いて1回後ろ下がったね。だけどまたセンター出てきて、でももう今度は慣れてて、ドラマ出て、演技上手くなってて。またドラマ出て、歌上手くなってて。今までしなかったのに前髪なんかあげちゃって(結んであげた方が好きだけど←)主役なんかやっちゃって。リーダーだなんてガラでもないのにちゃっかりこなしちゃって。コンサートでもオープニングからあんな衣装着ちゃって。慣れたら楽だよなんて昔ならあり得なかった。
だんだんと素が出てきてボケることも多くなって、いじられることも増えて。だけどね、こんなに変わっても根本は変わってない。おっとりなマイペース、玉森らしさはそのまま。宮っちとシンメ組んでたら落ち着くとこも、見切れ被りして欲しいとこも、後ろにいたらしっくりくるとこも、なんだかんだ言って、滑舌悪いところも色白なところも草食なんて自分で言ったところも下がりたがるところもマイク通さず話すところも一途なところも引きずるところも王子様キャラなところもすぐ耳赤くなるところも魚顔なところも腹黒いところも毒舌なところも宏光と姉妹なところも黒髪似合わないところも前髪の一束大事にしてたところも髪型変わらなかったところも腰パン激しいところもスカル好きなところもネタにされるの嫌なところも左目のが二重なところも見事な逆三なところも身長176センチなところもワンテンポ遅れなくなったところも恥ずかしすぎるやってたところもツンデレところも宮っち大好きなところも、そして可愛いところも挙げたらキリないけど、結局嫌いなところも全部好きなところになっててそんな自分に笑える。
もし玉森がいなくなったら、もしキスマイがいなくなったら、なんて有り得ないから考えたことなんてない。考えたくもない。たぶん、無理だと思うから。
あいつらにはいっぱい助けられた。生きる元気を与えてくれた。友達もたくさんできた。新たな観点が持てた。楽しいことも嬉しいことも苦しいことも切ないことも、泣いたり笑ったり怒ったり悔やんだり驚いたりはっちゃけたり。たぶんあいつらがいなかったら感じることはなかったものは山ほどあると思う。
ここにこんなことを書くのは間違ってるのかもしれないけど、2年前の冬、ちょうど1stが始まったあたり生きたくなかった。とにかく担任が嫌いで毎日が楽しくなくてでも学校と家しかなくて学校辞めようかとも思ったけどその先がないからできなくて、事故に合うこと願ってた。ずっと、ずっと。だけどね、そんなときって絶対事故には合わないの。だから、生きなきゃいけなかった。そのときに支えてくれたのがキスマイだった。あいつらに救われた。生きる希望を、目的を、あいつらが作ってくれた。進級して担任変わって学校楽しくなって辞めなくてよかったって心から思えたこともあった。でもやっぱりあいつらは必要。いないと生きていけない。ずっと見ていたい。一緒にいろんなこと感じて、学んで成長していきたい。
あいつらの応援やってると普通じゃ見れない角度から物事見れてる気がするんだよね。確かにお金はかかるけど(笑)← それ以上のものをもらってるそんな気がする。
嵐みたいにはならないでほしい。こんなこと言うのはだめかな。どんなにみんなが言ってくれても遠くなっちゃう気がするの。変わっちゃう気がするの。わかってるよ?あいつらはあいつらだって。どんなふうになったって根本は変わらないって。だけど、怖いの。あの時助けてくれたあいつらがいなくなる気がして。センターに出た玉森も結局降りなかったように、たぶん大丈夫と思うけど。ただの我が儘、自己中。うん、わかってる。

デビュー決まって露出増えて、実際ファンは沢山増えた。"新規"と"古株"そこに差をつけたいわけじゃない。おそらくそこにキスマイを大事に想ってる、という共通はあると思う。だけどどうも"一部の新規"の人と仲良くなれそうにないのは努力がないから。わからないことを、過去のことを、あいつらの辿ってきた道を、苦労も苦しみも調べようとしないから。聞けばいい、その考えは少し違うと思う。そりゃわからないことはたくさんあると思うよ?だけど自分で簡単に調べられるものもたくさんある。それがない人とはあまり仲良くなれないのかなって、なんかそう思う。ファンが増えるのはいい事だと思う。あいつらもそれを願ってるはずだから。だから最近ファンになった人に言いたいことは本来のあいつらを知ってってことかな。役でもなくて、固定概念でもなくてわ素のあいつらを知って。その上で好きになってほしい。まぁあいつらが出さないとこは見れないままだけどね(笑) なかなか本当の深い素って出してくれないからね。今見れる部分は全部見てそれからはまってほしい。

初心忘るべからず。いつの間にか当たり前になってるのが一番怖いことだと思う。TVにしろ雑誌にしろコンサートにしろ舞台にしろだって最初に地上波でジャニーズとは関係ない番組に出演決まったときどれだけ騒いだ?雑誌だって5誌以外に出たときどれだけ喜んだ?そういうのが消えた気がする。人に言えたことじゃないのは自分でもちゃんとわかってる。だからこそ直したい。すべてが当たり前じゃないのをちゃんと認識していたい。ずっと、これから先も。

デビューが決定してからここまで様々なことがあったね。だけど思うのは、神様は乗り越えられない試練は決して与えないと言うこと。このタイミングでデビューきてよかったと思います。この言葉に詰まってる気がする。1人ではできないこともみんなでならできる。全員が同じ方向向いたあいつらにかなう壁はそうそうない。例えあったとしてもあいつらはどうにかして壊してくるだろう。そして飛び立った後には8色の虹を潜り抜けて北斗七星に辿り着き虹色に綺麗に輝いてすべてを包み込むようなそんなグループになってほしい。

そして超個人的だけど偶然にも1年前の今日、梨永と初対面だった。2年前にホムペで知り合って仲良くなった双子の子。運命というか何というか。購読させてもらってるマガの創刊日でもあったし。ほんと、あの事務所はなんなんだろうね(笑)でも、ジャニーさんには本当に感謝してる。たぶんいきなりデビューですって言われても着いていけなかった。徐々に徐々にで慣れさせて心構えをさせてくれた。考える時間をたくさんくれた。本当にありがとうございますこれからもあいつらの教育を← よろしくお願いしますm(__)m誰

あいつらと同じ時代に、あいつらと同じ日本に、こうして生まれたこと。キス担として活動できること。人生の一部をあいつらに作ってもらってること。感情も思考も行動もあいつらに影響されながら生活していってること。出逢いも経験も全部ぜんぶ。すべてのことに感謝しています。偶然なのか必然なのか、それは神様にしかわからないのかもしれないけれどこうして今を過ごしていることは成るべくして成ったものなのではないかと最近思う。
また変な時期にデビューしてさ(笑) こっちだって今から忙しいのに。人生で一番の山なのに。そんなこと言いながら活動停止するような考えなんてこれっぽっちもないけどさ← とりあえず時事には着いていきたい。映像とかは後からでいい、今はそう思ってる。

宏光の友達の妹さんが履歴書送ったこと。その日にたまたま練習が重なっていなかったこと。10年以上続けたサッカーを離れ新たな世界に飛び込むことを決意してくれたこと。けんぴがダンスを習っていたこと。その映像を事務所に送ったこと。宮っちのお母様が履歴書を送ってくれてお金でつってくださったこと。渉のお兄さんがあの業界に興味を持っていたこと。自分の代わりに渉に夢を
託してくださったこと。オーディションで落ちてた太輔が帰っていいですか?と声を掛けた相手が社長だったこと。13年という長い期間腐りながらも辞めなかったこと。泣き喚きながら拒否した玉森をお母様が引きずっていってくださったこと。にかのお姉様がキンキが好きだったこと。そしてにかの履歴書を送ったこと。
きょんがいなかったらKis-My-Ft.はできなかったしKis-My-Ft.がなかったらKis-My-Ft2はできなかった。きょんの存在は不可欠だった8人の時代があったから今のあいつらがいる。

偶然が重なった奇跡の必然、この言葉だと思う。勝手な完璧な自己解釈だけど。
あいつらを取り巻くすべての環境、人、物に、あいつらを幸せにしてくれるたくさんの出来事に、いつまでも感謝の心を持ち続けて。

2011.02.12 - 2011.08.10
半年分の思いをここに記します。


立ち止まるのは今じゃないだから

いつの日にかこの心で胸にきざむ

ひとりじゃないここに僕らがいる

Loneliness will never love you


We continue running forever...



 ☆   ☆        
             
☆   ☆       
        ☆    ☆
          ☆   



We are Kis-My-Ft2


心からの
おめでとう



          2011.08.10